新潟県中越地震被災者支援活動に参加しました!

〜山古志村避難施設(長岡高校小体育館)〜

自衛隊による炊き出しの配膳の様子。後方にて森ひろゆきも参加。

 

 2004年10月23日夕刻に中越地方を襲った新潟県中越地震は、各地に深いつめ跡を残し、復興は思うように進まず、いまなお被災者のみなさんは大きな不安を抱えて日々を過ごしています。そのような状況のなかで実際に私も現地入りし、2004年11月28日から30日の日程で、新潟県長岡市の長岡高校小体育館にある山古志村避難施設を訪れ、当該避難施設での泊り込み体制で、山古志村役場職員の指示にしたがって支援活動を行いました。3日間という短い期間ではありましたが、単なる視察ではなく、私の原点であるNGO活動に立ち返った活動は原点を振り返るとともに、私にとって学ぶべきものの多い活動でした。

 被災者の方々も昨年12月中旬から仮設住宅に入居し下旬には引越しが終了しました。しかしながら、仮設住宅に入居しても2年間という期限ですし、この間、被災者の方々は自立復興の道を模索しなければなりません。豪雪地帯特有の被害や課題、また過去の震災事例のように高齢者への支援のあり方など、今後新たな課題が生じてくることが想定されます。

 最終日、被災者のみなさんにあいさつを終えて横浜へ戻る際、「山古志村の私たちを忘れないで。」と涙を浮かべて見送ってくださったお婆さんの姿を忘れることができません。私たちには戻れる家があっても、山古志村の人々は故郷に帰りたくとも帰ることができない現実を痛感し、切なくなりました。

 過去を振り返れば分かるように、ニュースとしての旬が過ぎるとマスメディアにも取り上げられることが少なくなり、私たちの記憶も風化していくのが世の常かもしれません。しかし地震列島に暮らす以上、地震災害は「他人事」ではありませんし、昔から言われるように「災害は忘れた頃に」やってきます。日数の経過にともなって被災者のニーズも変わり、災害支援の内容も当然変わりますが、何よりも継続的な支援が重要です。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という姿勢ではなく、支援を継続しつつ、他都市でも災害時の経験や教訓、それを克服した智恵を駅伝のように伝えていくことが、災害に強いまちづくりを推進していく上でも大切でしょう。

 私としても可能な限り、被災者支援活動をしていきたいと考えています。また、横浜で同程度の大地震が発生した場合、地域でどのように対応すればよいのか、今回の経験を活かして、地域における危機管理の強化にもあわせて取り組んでいきたいと考えています。

 

camera02.gif 活動写真はこちらに掲載しています。

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