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2004年12月26日に発生したスマトラ沖大地震・津波災害から4ヶ月を経た現在も、海岸沿いの被災地域(ウレレ地区)は空爆後の焼け野原のような状況。

「この家の所有者はまだ生きている。2004年12月26日津波」の文字が壁に書かれていた。土地所有権の問題も被災地の課題のひとつです。

20万人もの人々が生活していた都市の痕跡は、家の壁の一部や床のタイルのみ。

30メートルもの高さの巨大津波に耐え、押し流されずに生き残った巨木の前にて。生命の力強さを感じました。

津波により内陸まで押し流された船。

タンカーの前にて。家屋を失った人々が船に住んでいる。その前では商店が開店していた。

スマトラ沖大地震・津波災害の復興・再建支援の一環として、民主党が日本全国で街頭募金を行っていることを説明する森ひろゆき。

現地NGOとのミーティングの様子。

民主党の街頭募金を現地NGOに手渡す。今回初めて義援金をもらうNGOもいて、「大変うれしい。励まされた」と話していました。

現地の有力なNGOである「インドネシア法律扶助協会・バンダアチェ支部」のスタッフとともに。

被災地で「バラック」と呼ばれる仮設住宅にて。

この仮設住宅では170人の避難民が暮らしている。

避難民の方にインタビュー。「できれば早く仮設住宅を出たいが、仕事はなく、無職のため住宅再建の融資も受けることはできない。」早急な雇用支援プログラムの必要性を痛感しました。

女性の政治・経済・社会的エンパワーメントをめざしている女性グループにインタビュー。

海岸近くのミルック村にて。

バンダアチェ滞在中お世話になった、「インドネシア法律扶助協会」(LBH)事務所にて。

「インドネシアウラマー協会」が支援する仮設住宅にて。ウラマーとは現地のイスラム宗教指導者。この仮設住宅では、ウレレなどから避難した被災者5000人が暮らしている。

仮設住宅において、コーランを配布したり、宗教的な内容を盛り込んだ映画上映会等を行っている。

「インドネシアウラマー協会」事務所にて。津波により事務所が破壊されたため、この場所に活動拠点を移し新たに建設を進めている。

「津波は神が与えた試練」という。しかし現状は大変厳しい。宗教的役割の重要性を説明してくださった協会の長であるイブラヒム氏の温厚な人柄に触れ感銘を受けました。

バンダアチェから自動車で約2時間ほど離れたスマトラ島東海岸の街シグリ、ランチャン村にて。インドネシア政府や海外からの寄付・支援は一切ないという。支援の手が届かない地方にこそ支援が必要ですし、まさに支援金の使い道が問われています。

漁村を訪問した際、50人以上の村人が集会場に参加。村人のほとんどが漁業を生業としている漁民。「漁には網や小船が必要であり、生活再建・地域復興に向けて支援してほしい。」

最後は握手攻めにあい日本に対する期待の大きさを感じました。

海岸で村人たちとともに。

津波により破壊された家。「子どもや高齢者が逃げ遅れ、津波の犠牲になった」という。

漁に必要な小船は170万ルピアほどで手に入るとのこと。

漁村ではエビの養殖業が盛ん。主にスマトラ最大の都市・メダンに出荷しているという。「津波で養殖池が破壊されたため、その環境整備をしてほしい」と話していた。

現地NGO活動家とともに。「アチェを忘れないで!」という彼らが発した心からの言葉が、いまも忘れられない。紛争や平和はどこか遠い国の問題ではない。世界の片隅の痛みにも目を向けよう!

バンダアチェ市議会を表敬訪問。議員定数は30人。津波により、副議長を含む市議会議員2人が亡くなったという。

バンダアチェ市議会議員とともに。日本・インドネシア政府間の協力だけではなく、ぜひアジアにおける都市間協力を!

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